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「壁があったら登るな 回り道しろ」 月亭八方

今月の言葉

2024.01.22

南通寺伝道掲示板2024,1

厄介ごとを避けるという話ではないようだ。おしなべて登山家やクライマーは、登頂の事を征服すると表現する。それらを征服することにより新たな地平が開かれると…。壁や山は目指すゴールではなく、征服することにより新たなスタートとなるということか。一般的にはそうなのだ。しかし今回の言葉は「回り道」せよという。月亭八方氏曰く、迂回した方が違う事件に出会えるからだそうだ。迂回路は順路よりも行程のイメージがつきにくい。イメージを超えた道には、思いがけない出遇いがあるかもしれない。さて、仏教は、自分が何者であるかを説く教えである。また、私のイメージを超え、はからいを超えたものに出遇っていく教えである。自分が何者であるかを照らし出す、はからいを超えた世界を南無阿弥陀仏という。回り道にはそんな出遇いがあるのかもしれない。

「回り道」の魅力

 困難を克服するということは素晴らしいことである。確かに「私が困難を乗り越える」姿をイメージし、その通りになる、すごいことだ。
仏教には「自力作善」という言葉がある。独力で善を成し遂げるという意味なのだが、ここには大きな落とし穴がある。「思い上がり」である。
困難を乗り越えるということには自己満足の煩悩がべったりと横たわっているというのだ。
 人は自分で自分を救うことはできない。だからこそ如来の救いがここにある。自分一人でできることには限りがあるし、人生何があるか分からない。そんな時に回り道も良いのではないか。回り道には順路と違ったイレギュラーがつきものである。そういったはからいを超え、想定を超えた世界が人を成長させる。時間はかかるが、計画通りいかなくったっていいじゃないか。そんなエールにも聞こえてくる。

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