厄介ごとを避けるという話ではないようだ。おしなべて登山家やクライマーは、登頂の事を征服すると表現する。それらを征服することにより新たな地平が開かれると…。壁や山は目指すゴールではなく、征服することにより新たなスタートとなるということか。一般的にはそうなのだ。しかし今回の言葉は「回り道」せよという。月亭八方氏曰く、迂回した方が違う事件に出会えるからだそうだ。迂回路は順路よりも行程のイメージがつきにくい。イメージを超えた道には、思いがけない出遇いがあるかもしれない。さて、仏教は、自分が何者であるかを説く教えである。また、私のイメージを超え、はからいを超えたものに出遇っていく教えである。自分が何者であるかを照らし出す、はからいを超えた世界を南無阿弥陀仏という。回り道にはそんな出遇いがあるのかもしれない。
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今月の言葉
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「無関心」 なんてものは成り立たない きっと「無関心」を 装っているだけじゃないか